2001年10月アーカイブ

時に「新世界交響曲」という表現がされていることがあるようです。ドヴォルザークの交響曲第9番のことですが、新大陸(=アメリカ)の広大な大地のイメージにも確かに似合っている部分があるのかな、とも思いますが。

しかしこの交響曲の題は「新世界より」です。ドヴォルザークの故郷はボヘミア、つまりチェコです。彼はアメリカに渡って、アメリカ滞在中に祖国に想いを馳せながらこの曲を書いたと言われています。確かにアメリカ先住民の民謡の節などが含まれているという指摘もありますが、彼が「ボヘミアの心をアメリカの歌で歌ったまでだ」という言葉を残している通り、これはボヘミアの広大な大地、東欧の果てしなく広い平原、自然を表現した曲であったに違いないと個人的には考えています。

とってつけたような話で恐縮ですが、今日、地元の国立でコンサートがありました。ウラディミール・アシュケナージという指揮もピアノもこなす素晴らしい音楽家が、チェコフィルと共に一橋大学でコンサートを開いてくれたのです。久々のクラシックでしたが、やはり胸にずんと響くものがありました。

スメタナのモルダウから始まり、モーツァルトのピアノコンチェルト27番(これはアシュケナージ氏が弾きました)、そしてドヴォルザークの9番となったわけです。ちなみにアンコールはスラヴ舞曲の10番という。モーツァルトはおいといて、とりあえず東欧ずくめのコンサートでした。

一橋大学構内の兼松講堂で行われたのですが、昨今の計画され尽くしたコンサートホールの、ある意味人為的な響きとは違い、すっきり切れの良い響きでした。それほど大きくない規模であれば、こんな感じのさっぱりした音もまた素晴らしいなと。

更にとってつけたようで恐縮ですが、今週末から休暇を頂いて久々のヨーロッパに行くことにしています。ベルリンでたまたま同時期に旅行中の友人と落ち合う計画をしているのですが、彼はその前にプラハに行くとのこと。羨ましい限りです・・・。僕も二十数カ国を回った身ですが、その中でもプラハはベストポイントなのです。

これをきっかけに、またクラシックへの接触の機会が増えればいいなと考えております。BGMは「無き王女のためのパヴァーヌ」(ラヴェル)でした。

PS、ラヴェルってのはボレロを書いた人ね。あと「展覧会の絵」の編曲も彼がやってるんです。だから「展覧会の絵」に関してはムソルグスキーだけでなく彼の名前も合わせてひも付けしてあげる必要があるかと思います♪

9月から英会話教室なんてものに通い出しました。ケチなはずの自分ですが、この出費には特に抵抗もなく。年額を先払いなので結構な額にはなったんですけどね。まぁボーナス使ってなかったし。いざとなれば最後の手段も・・・(爆)。

まだ数回しか授業は受けてないんですが、なんか国立で飲み会をやるということで、声かけてもらいました。うれしいものです。僕のクラスは全員で6人なんですが、時々レベルによってクラス替えがあったりするようで、以前からここの教室に通ってる人たちは他の曜日、他の時間のクラスの人たちとも顔見知りだったりするようです。年齢も職業も国籍もバラエティに富んでいて面白いものです。つい最近まで未練がましく長々と学生をやってたくせに、今では立場もすっかり変わり、学生生活に蒼い憧れを感じる立場となってしまいました。

最近仕事が非常に忙しく、週に2回(火曜日が英会話、金曜日が合唱)の定時退社を実行するのが大変厳しいのですが、でも何故か、特に何もやっていなかった時よりも時間の使い方を工夫するようになったような・・・。あるいは努力して時間を作るようにしているなぁと感じられるようになってきました。週次の生活にメリハリがついた、というのも副次的な効果です。この副作用、ちょっと狙ってはいたのですけど。人間、追いつめられないとダメですからね。特に僕のような性格の人間は。

駅前の和民で飲んだ後、カラオケに行きました。平日の夜にこんなことができるのも地元ならではですね。地元のお店とか、地元の仲間とか、そういうコミュニティって大切にすべきものですね。最近、仕事以外で新しい人に会う、新しいコミュニティに触れる、といった機会というのがほとんどなかったので。

カラオケで最後に歌った曲がアバ(ロゴがでないので敢えてカタカナで書きました)のDancing Queenでした。仕事やら、プライベートやら、いろいろ考えることは多いですけど・・・まだ僕も踊ることが出来ると思っています。

Can I dance? Yes, I think so! Now I can dance.
I want yu to dance with me again...

僕が旅行好きなのは、このエッセイを読んで頂いている方ならだいたい察しがつくと思います。旅行は自分を新しい場所、物に出会わせてくれます。もちろん2度、3度同じ場所にいくこともありますが、いずれにしろ現(うつつ)からは離れた非日常の時間、空間の中で、ある種の違和感を感じ、また現実逃避をしている自分を感じることのできる旅行というイベントが僕は好きです。

旅先ではいろんな人に出会います。印象深い人たちが数え切れないほどいます。普段はほとんど意識することはありませんが、部屋の掃除の途中にふと昔撮った写真を眺めはじめてしまったり、あるいは一緒に旅行をした人と飲みながら昔話をしたりすると、そんな記憶が鮮やかに蘇ってきます。

グアムの恋人岬で写真を撮ってあげた韓国人のカップルは・・・。
ペンザンスの猫だらけB&Bのご主人は、その猫たちは・・・。
マドリードのホテルのフロントの兄ちゃんは・・・。
ブラチスラヴァ城で会ったオーストリア在住の日本人女性は・・・。あの人にいただいたオーストリアの紙幣は、今、カオサン通りの安宿のカウンターに飾られているはず。
サイゴンの動物園の檻の中で退屈そうにあくびをしていたトラは・・・。相変わらず退屈そうに眠っているに違いない。
シリコンバレーで道を尋ねたペンキ塗りのおじさんは・・・。今もまだ、どこかの家の屋根に登ってペンキでも塗っているのだろうか。
ストックホルムの川で、でかいサーモンを釣り上げていたあの少年は・・・。
リンショピンからマルメに下る夜行で隣になった兄ちゃんは・・・。結局3泊もさせてもらって、飲み屋にも連れて行ってもらって。
サンフランシスコからロンドンへの機中で隣になったHP勤務のあの人は・・・。
青函トンネルの函館側出口で会って、その後再度神威岬で会った、袖ヶ浦ナンバーの緑のカローラIIに乗っていたあのおじさんは・・・。
小樽運河で写真を撮ってもらったあのおばさんは・・・。結構綺麗に撮れていたような気が・・・あの写真。
穂別町の国道沿いで道に迷い、道を教えてもらおうと訪ねたあの家の人たちは・・・。あの家の玄関先に買ったばかりのガイドブックを置き忘れてきたっけな・・・。

書き出すときりがないですね。それにしても、これだけのデータが僕の頭の中に入っていて、それなりに整理されてちゃんと出てくるんですね。これがもう少しビジネスに生かせればね(爆)。

もちろんポジティブなことばかりじゃないです。ネガティブなのもあります。しかしそれは旅行での出会いじゃなく、現の出会いが多いかも。

あの打ち合わせ中に教室でガツンと言っておけば良かったなぁとか、あの箱崎での会議中にガツンと言っておけば良かったなぁとか、あの相模原駅前でガツンと言っておけば良かったなぁとか、あの国立駅前であいつにガツンと言っておけば良かったなぁーうぉーとか、あの彫刻の森美術館でガツンと言っておけば良かったなぁとか、あの面接会場でガツンと言っておけばよかったなぁとか。

旅行という期間においては、ある意味特殊な時間が流れています。期間を区切られた特殊な状態です。良いことも悪いことも、旅行が終わった時点で一旦整理され、それらをそのまま現の世界に持って帰ることはできません。そこに一人の自分を作り出すことができる、と言っても良いでしょう。

しかし現の自分の生活の中ではあらゆる人と継続したお付き合いをしていかなくてはならないわけで、その中では時間の経過とともにネガティブな面がどうしても出てきてしまいます。それらの感情の発生は必然とも言えるでしょう。だからと言って強硬手段を取ってリセットすることは僕はしたくありません。それはともすれば自分の今までの軌跡を否定することになります。

僕の人生は幸か不幸かあと数十年残っています。過去を否定することは絶対にしたくありませんね。何かしらのものを失うことを極端に嫌う、寂しがり屋なだけなのかもしれませんが(^-^;)。反省はしても、後悔したくはないですから。

二日目は朝早く起きて朝食を頂く。昨日に引き続き豪華な朝食。昨日もお母さんからずいぶん丁寧なおもてなしをいただいたなぁと感じていたのですが、どうやらそれはこちらのおばあさんからの遺伝だったらしい(笑)。ある意味分かりやすいのです。

8時半頃だったでしょうか、早々に出発。早速常磐道に乗って北茨城までかっ飛ばします。1時間で着きました。北茨城には中学時代からの友人がいるのです。4月に結婚したのですが、その結婚式以来。奥様は既に身重でした(^^;)。家は新築。大変分かりやすい「幸せな家庭」を目の当たりにして、実はちょっと戸惑ってしまいました(苦笑)。

お二人には「裏磐梯、桧原湖のあたりに行きたい!」と前もって言ってありましたので、リクエスト通りに早速三人で出発です。常磐道から磐越道へ。今年の一月に一緒にスキーに行った道のりなのですが、雪が無いと全く印象が変わります。まるで全く別の場所へ向かっているかようです。2時間程で五色沼に到着しました。すごい渋滞です。

そこから更に北上。桧原湖の北の端に早稲沢という場所があります。ここは僕が以前から一度訪れたいと思っていた場所です。この早稲沢は「小椋」という姓の家が多く、民宿もガソリンスタンドも商店も全て「小椋」なのです。お察しの良い方はお気づきと思いますが、僕が尊敬するアーティストのうちの一人に小椋佳さんがいます。小椋さんの本名は神田さんなのですが、ペンネームの小椋はこの早稲沢から来ているのです。早稲沢でのエピソード等は割愛します。そのうち気が向いたら書きます(笑)。

帰りに地元の魚屋さんで秋刀魚と鰹と牡蠣を買いました。鰹は脂がのった戻り鰹。牡蠣はレモン絞って、昨日牛久で買ったワインと一緒に食します。贅沢です。そんな贅沢な時間を茨城の北の端の海と星の見える丘の上で共有しながら、秋の夜は更けていくのでした・・・。

翌朝、奥様は出勤日だったので、朝食を頂き、僕も早々に失礼しました。また懲りずに邪魔しに来るから、と言い残して。

帰り道、野口雨情記念館に寄りました。何度かこちらに遊びに来たことがあったのでその存在は知っていたのですが、中に入ったことがなかったのです。「七つの子」「兎のダンス」「赤い靴」など、誰もが知っている童謡を多く作曲した方です。自分も合唱をやっていたので、知っている曲が多くありました。改めて詩を読むと、なんとシンプルなんだろうと感じました。メッセージが分かりやすい。「赤い靴」に関しては様々な資料が展示されていました。これは実話で、モデルになった女の子も存在するとのこと。横浜の山下公園にも女の子の銅像があるそうです。

人の温かみと、食事に恵まれた三連休でした。僕にとってはちょっとした小旅行でしたが、想像以上のものを手に入れることが出来たと思います。今回の旅行で触れ合った全ての人、物に「ありがとう」を言いたいです。そしてこの快感を更に重ねてしまうと、僕の放浪癖は決して治らないのであろうと、一層強く確信するのでした。

金曜夜、例によって立川での第九の練習を終え、車で自宅に戻りました。その瞬間から「茨城ツアー」の開始です。荷物を積んで稲城の寮へ、同期の茨城県民を迎えに。途中ガソリンを入れるのも忘れません。先は長いのです。

以前より土浦の花火大会が大変すばらしいという話を彼から聞かされていたので、それを見に行こうという話なのです。こんな時期に花火か?と思われるかもしれませんが、「競技花火大会」なんだそうで、審査員もちゃんといて、順位付けもされるそうで。ここでよい成績を収めた花火師さんたちは、翌年の仕事が増えたり、仕事料も上がったりするんだそうな。面白いシステムですね。要は夏のシーズンを終えた花火師さんたちが来年に向けた営業活動をする場、といった感じでしょうか。

そんな素敵に季節を外した花火大会に思いを馳せながら、23時過ぎに中央道から首都高に乗り、八潮南で下車。ここで稲城で拾った同期が中学時代から知っているという友人の女の子を拾って、一緒に帰ろうというわけ。どうせ車なんだから有効活用してもらわないとね。ここで拾った女性が今回の花火大会の場所取りから何からいろいろやってくれました。感謝です。つまり、僕はあつかましくも地元の方々の同窓会的な集まりの中に無理やり割り込んで、ついでに楽しもうというわけなのです(笑)。

1泊目、牛久の同期宅。着いたのが遅かったのですぐ寝ましたが、翌朝は朝食から豪華に。同期のお母さんがいろいろ作ってくれて。お父さんは関西本線の加太の信号所のスイッチバックが何とやら、というような大変ローカルかつコアな話をいきなり始めて一瞬驚きましたが、もともと関西のご出身で、電車好きな人なのだそうです。

午前中は牛久ワインを造っているシャトー神谷に行きました。ワインを試飲して、3本程買い込みました。電気ブランも試しに買ってみました。電気ブランといえば分かる人は分かると思いますが、ここシャトー神谷は一部では有名な神谷傳衛門氏が起こしたワイナリーなのです。彼は浅草にある神谷バーという老舗にも名を残す、ご立派な方なのです。シャトー内には資料館もあり、過去の資料、写真など興味深く拝見させてもらいました。

そして午後は・・・、そう、花火に行く前に外せない場所があるのです。牛久大仏という巨大仏像です。これは時々都内の電車の中吊りにも広告が出ているのですが、とにかくでかい(120m)仏像なのです。変な国、変な女性、変な食べ物などなど、自他共に認める変わり物好きの僕としては(爆)絶対外せないところでしたので、頼んで連れて行ってもらいました。同期も地元に住んではいるけれども中に入ったことはなかったとのことで、この機会に一緒に入ろうということになったのです。感想は・・・ありがたい、というよりは少し怖かったです。泣いてる子供もいました(笑)。でも変わり物好きの僕を満足させるに十分な内容であったことは間違いありません。自信を持っておすすめしておきます。

夕刻になり、今夜泊めていただく土浦のおじいさん、おばあさん宅にやってきました。同期の母方の親元とのことで、大変元気なお二人でした。何故か中村喜四郎氏や斎藤十郎氏の話で盛り上がってしまいましたが・・・(分かる人だけ分かってください ^-^;)。今夜は花火を見た後、ここで滞在です。

花火を見るために川原まで歩きます。すごい人。でも東京湾の花火大会のような圧迫される混み方ではないな、と感じました。地元の人が多いし、どこか和やかなのです。この雰囲気にも大変ひかれました。川原では場所取りしてもらっていた方々と合流して、ビールなんか飲みながら花火を見ました。偶然かもしれないけど、そこにいらした方々は学校の先生が多かったです。そうか、同じ年(あるいは年下 ^^;)の人が学校の先生になるような年齢に自分もなったのだなぁと、花火とはまったく関係のない感情をその時少し抱いてしまったりして。いや、まぁ楽しいものです。

二日目は北茨城に向けて出発していくのですが、その話はまた後ほど。気が向いたら書きますので。うーん、だらだら長くなってしまうな。僕の悪い癖だな。これではいかん、何事においても!

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