【45】世界人口1000人説

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ちょっと前に話題になった100人村の話ではありませんが・・・、筆者の友人が時々口にするのが表題の説。彼曰く、新しい人と出会った場合、その人と自分の間に共通の友達が既に存在する確率が非常に高いとのこと。「実は世界には1000人しか人間がいないのではないか?」そんな日常の感想を例えた表現だというふうに思ってください。決して彼の生活している世界が狭く留まっているわけではないのです。むしろ筆者なんかよりも広いステージで生きてるんで。

そんな彼が同郷出身の友人Aさんと東京で飲んでいたんだそうです。ある意味異境の地である東京で酒を飲んでいた時・・・Aさんの携帯が鳴りました。Aさんの友人、Bさんからの久々の電話です。何と偶然ではありますが、その電話をかけてきたBさんも、すぐ近くで飲んでいたというのです。その後、当然3人は実際に会って挨拶を交わしたのは言うまでもありません。

ここで「偶然ってすごいね」で終わらせるのも結構。でもこれは偶然ではないと思うのです。何が偶然ではないかというと「Bさんが電話をかけている」という行為が偶然ではないと言いたいのです。もちろん、まさにグッドタイミングであったということは偶然です。でも残念ながら、人間というものは電話すらかけない間柄になってしまう場合もあるわけです。あるいは気軽に電話やメールしたくても、何故か連絡しにくいような間柄になってしまう場合もあるわけです。この場合、AさんとBさんのお互いが「電話できる間柄」でありつづけ、しかも実際に「Bさんが電話をした」ということなのですから、これは偶然でも何でもなく、二人の確固たる意思が生み出した結果なのです。

人と人とのつながりというのは単位をつけて測れないだけに難しいとは思います。しかし筆者の場合も、無意識のうちに関係を保つように、あるいは世間一般的には保てない環境に陥ってしまっている場合、もしくは保つことは許されないとみなされている環境に陥(おとしい)れられている場合に至っても、諦め悪く、しつこく意識的に保つようにしてしまっているように思います。ここまで諦めが悪い(笑)のは、筆者が寂しがり屋だからなのか・・・。いや、弁解ではなく、それだけの理由ではないと思っています。強(したた)かに、筆者の周りにいる人たちとつながりを持つことの価値を数値化して測り、その結果として何かしらの方法をもってして関係を保とうとしているのだと思います。

もちろんこれらの行為は、筆者が意識的に行っているわけでは全くないのですが。しかし、そういう行為を筆者が無意識的に行っていると仮定しなければ、これだけ回りに素敵な方々が集まってくれている現在の状況を論理的に説明することが出来ないのです。

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このページは、もりもりが2002年6月21日 02:03に書いた記事です。

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