【185】どうしてみんな立派なの?

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どうも自分の周りには立派な人が多い。今に始まったことではないのだが、インドネシアに来て多くの方々と新しく知り合っていくにつれ、またその現実を実感している。別にお世辞で言ってるとか、そういうくだらない話ではなく、ホントにそうなのである。先日も友人が某社情報システム担当としてマスコミに露出。すげーなー、働いてる。社会貢献してる(笑)。まぁ彼は年齢的にも社会人年次的にも結構先輩なので(爆)筆者が経験的にかなわないのは当然なのだが。

昔はそんな風には感じていなかった。いつ頃からそう感じるようになったのかなと思い返してみると、おそらく大学2〜3年生になった頃からではないかと思う。この頃、ひょんなことから(インカレサークルのようなもの・・・らしい)学外の多くの友人と知り合うようになり、必然的に視野が広まり、その中での相対的な自分の立場というのを意識せざるを得なくなった、ということがあるだろう。

こちらに解説されているが「連続的な成長、不連続な成長」という言葉があるようで。「周りは立派な人ばかり」と筆者が感じているということ、つまり「自分はまだまだだなぁ」といつも感じているということは、もしかすると筆者自身が常に新しい人と出会い、新しい価値観に触れているということ、つまり「不連続な成長」を行っていることの裏返しなのかもしれない、とふと考えた。新しい人と出会わないようにしていれば、新たな比較対象も現れないわけで、既存の価値観の中で「自分はこんなものだし」と思っていれば良いわけで。即ち「自分はやっぱりダメだ」と考え直す必要も無いわけだ。

でも、やっぱり筆者はいろんな人と出会いたいし、いろんな話を聞きたい。出会ったり、聞いたりすればするほど「やっぱりオレはだめだ〜」と思うのは分かっている。気心の知れた仲間と「そんなことないよ、お前だってすごいよ」とかお互いに言い合ったり、信頼できるパートナーから「貴方だって素敵じゃない」とか言われて包まれている方が楽しいに決まっている。ただその一方で、人と出会うことは「不連続な成長」の原動力なのであって、そこから逃げることは人間が生きていく上で大変つまらないことだとも思っている。故に、出会うことは楽しい。難しいな。もしかしたら単に筆者がマゾなのかも(超爆)。

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このページは、もりもりが2005年1月10日 22:52に書いた記事です。

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