【268】「忠臣蔵」別の切り口

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「その時歴史が動いた」という番組があります。これは毎回、ある史実をテーマとして、それに解説を加える形で進んでいく番組です。今回のテーマは年末らしく赤穂浪士。赤穂四十七士として語り継がれる義勇伝であり、また悲劇でもあります。

浅野内匠頭の刃傷沙汰に端を発する一連の物語ですが、今回の番組では、その四十七士だけではなく、決起に加わらなかった人々にも焦点を当てて、解説がされていました。当時の赤穂藩には、家老の大石内蔵助以下、三百名余りの武士がいたそうです。つまり二百五十名余りの武士(つまり大多数)は決起には加わらなかったわけです。背景としては、やはり経済的な問題が大きかったようです。可能かどうか分からない御家再興のために尽くすよりも、早く自分(家族、使用人)の食い口を探さなくてはならない。こういった現実問題があったのです。

二百五十名余りの中には、他藩に仕えることになった者や、刀を鍬に持ち替えて、農民として再出発した者もいたようです。番組の最後に、その農民となった浪士の子孫の方が登場して、お墓参りをしながら「先祖は子孫を残したことで、成果を成し遂げた」といった内容のことを話されていました。確かに討ち入った浪士達は切腹を命ぜられたわけですから、その言葉にも納得できるところがあります。

筆者はこの番組の切り口、大変面白いなぁと思いました。何でもそうですが、物事には二面性があるものです。悪役とされる吉良上野介も、地元では名主として通っていたようですし、物語として「忠臣蔵」が面白いというのは事実でしょうが、史実としては、さぁどうだったのか、というのはまた別の尺度が必要でしょう。

コメント(3)

ご無沙汰です。吉良上野介が、地元では名主として通っていたというのを、何かの番組で見て、物事の二面性ってのを、僕も感じた記憶があります。
登場人物の数だけ、物語ってのはありますからねー。

そうなんだよね。特に日本人が、こういう物語を好き、ということと、話題や報道に流されてしまう傾向がある、ということは、なんか関係があるように思えてね。

お話はお話として、面白いというのは良いことだし、大切なことなんだけどね。はっきり言って、大石内蔵助みたいな上司だったらどうよ?ってのはあるわな(笑)。幸せな人は幸せだけど、そうじゃない人は悲惨・・・。まぁサラリーマンの世界に当てはめることに無理があるかな。

> 大石内蔵助みたいな上司だったら
確かにちょっと嫌だね。(笑)

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このページは、もりもりが2005年12月21日 23:00に書いた記事です。

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