多面性

某BBSでの話題。ふつうの人というのは、他者を見るときに、「レッテル」を貼りたがります。つまり、その人の特徴的な「面」、目立つ「面」を取り上げて、それがその人「そのもの」であるかのようにとらえるわけです。車が好きな人のことを「車マニア」として、仕事ばかりしている人のことを「仕事人間」として。

確かに、「レッテル」を貼ることによって他者を自分にとって理解しやすくする、というのはわかります。が、貼った「レッテル」だけがその人のすべてではない、ということは忘れてしまう傾向がありますよね。

それ故に、「自分はそれだけの人間じゃない!」と思っている人って多いと思うわけです。「変わっている人」という「レッテル」は、レッテルが一つでは足りない人の事を指すことが多いため、「変わっている」と言われることに喜びを覚えている人もいます(笑)。

僕は、どんな人でも、多面的であると思っています。かっこいい言葉で言えば、「ダイアの原石」、かな。もちろん、本物のダイアになっている人も多いですが。ふつうは、自分が多面的であることを「意識的」にとらえている人はあまりいないようです。だから、他者を多面的にとらえることができないのではないかと思うのです。原石だから、磨けばかならず光ってくるし、しかも、一面ではなくたくさんの面が光れば光ほど、その輝きは複雑さを増し、美しくなる。それが「人間」なのだと思います。

僕も昔は友人たちに何かのレッテルを貼られるたびに、「僕はそんな言葉一つで表されるほど単純じゃない!」なんて心の中で憤っていたこともありました。一つの言葉で指されたくないがために、たくさんの物事に取り組んできた、という部分もあります。

でも、不思議と大学の中盤くらいからはそういう憤りがなくなってきました。単に丸くなった、というよりは、僕の周りに非常にいろんな「面」を持った人たちが増えてきて、かつそれらの人たちはちゃんと僕の多様な面を理解してくれているからじゃないかな、と思っています。自分のような考えを持った人がこんなにもたくさんいるんだ、ということに落ち着いてきたのかも。だから、僕も昔は「変わっている」と言われる方がうれしかったけど、最近は「変わっている」と言われたくなくなった(笑)。僕よりも変わっている人は周りにいっぱいいるんだから、この程度で変わっているなんておこがましい、と思っているわけです。

ま、端的に言えば「変な人」が周りに多いと言うことなんだけど(笑)。類は友を呼ぶ、というのは本当です、自分の体験から言うと。