富山入り

さて、今週はフルフルお休み~!。ということで、昨日は山田村ふれあい祭仲間の石井さんの家に行って、村の青年、祐樹と3人でいろいろなことを語ってきました。残念ながら夜中の2時頃時間切れで、もっと話したかったんだけど。

しっかし、同じ県内とはいえ、ウチと石井さんちは西と東の端どおし...。片道1時間もかかりました。うーん、富山県広いなぁ(笑)。

ま、話の内容は...、詳しく書くと石井さんに怒られるので書けないけど、いわゆるコイバナってヤツですか(笑)。あとは当然ふれあい祭について。

天野さんが今年のふれあい祭の反省会に出たのは、「義務感で続けているのなら、そんなふれあい祭はやめさせなければ」と思って出たそうです。初年度の、特にコアメンバーはみんな同じような考えを持って入るみたいね。伊東も同じようなことを入っていたし、僕はコアメンバーといえるほど中心にいたわけではない(つもり)だけど、やっぱり「継続」そのものが目的化してしまったら、それはあまり面白くないし、外への広がりに欠ける(新しい人が入りにくくなる)と思うわけです。

名前がふれあい祭のままでも、中身を毎年完全に総入れ替えして、ビルド&スクラップを繰り返しているのなら、まだ良いのだけど、結局去年、今年は初年度のブラッシュアップ版だという印象が強いわけです。確かに、前年度の反省を生かしながら、少しずつ新しい「色」をつけていっているかもしれないけど、たとえば「パソコンお助け隊」のようなものは今でもやっていて、さらに来年も継続が決定しているわけです。今年参加した人、そして来年参加する予定の人はみんな、それを行うことの意義を考えているんだろうけど、それだけじゃなくて「お助け隊」を行わないことによってできる「新たな企画」についてまでは考えていないんじゃないかなーと思いました。つまり継続の是非は問うても、代案をたてた上での検討というのはなされていない。どっちを先に考えるかというのはコロンブスの卵かもしれないけど、やる、やらない、だけではなく、やらないとしたら他にどんな形のイベントが出来るか、ということも考えた方が、「やる」と決めたときの根拠が強くなるだろうし、もっと深いレベルまで意義も考えられるんじゃないかと思います。まぁ、反省会に出ていない以上は、勝手なことを回りで言っていることしかできないんだけど。

また、去年、今年参加している人たちには、僕や伊東がいつも言っているような、「ゼロから創る」ということが出来るのはそうそういない、という人もいるそうです。誰でもそこまで出来る訳じゃなくて、何かを与えられて、そこから少しずつ修正して、自分たちの色を付けていく、という事しかできない人だっている。確かに、そうなのかもしれません。みんながみんな創造力を発揮して、どんどんブレインストーミングして、煮詰めて、イベントを実行していける人間ばかりであるわけがない。でも、そういう意識が抜けていて、その話を聞いたときにはちょっとショックでした。そっか、そうだよなぁ、って。ふれあい祭に来るくらいの人間なら、みんなそれくらい出来るだろう、って勝手に思いこんでました。

これはいけないなぁ、と反省。期待過多は人間の成長をプレッシャーで止めてしまうことがあるから...。

今日これから村に行って、また祐樹や、あとこの間東京に遊びに来た和代ちゃんと会う予定。もう少しここら辺の話を聞いてみたいと思ってます。当然温泉センターで温泉にも入ってくる予定。でも、今日は早めに帰らないと(笑)。毎晩午前様では何のために実家にいるのかわかりゃしない(^^;。親孝行もしないとねぇ。

明日はいよいよ某TKネタを書くぞ(と自分を追い込んでおかないと一生かかなそうだ...)。

内容的には煮詰めてあるんだけど、時間がなかったから今までネタ張にしか書いてなかった。明日のエッセイにこうご期待(真実か?)。