今日は「真夏の夜の夢」を見てきました。キャリスタ・フロックハートが出ていたから(笑)。キャリスタって、だれ?という人はYahoo!で調べてみましょう。
で、その後上野に花見に行ったんだけど、寒さと表題の通り舌が痛くて早めに帰って来ちゃいました。ごめんね>茂木、金木っち、ヤギさん
なぜ痛いかというと、数日前に熱いモノを食べて舌をやけどしたんだけど、その後そこが炎症を起こしているみたいで...。しゃべるだけでも痛いのです。めちゃくちゃ辛い...。はぅ。
でも、さくらはきれいでした。写真も撮れたので、目的は達成しました(^^;。
さて、今日読み終えた本です。
日本の公安警察 青木 理
日本では警察というと、実は大きく2つに分けられます。一つはドラマなどで出てくるような、刑事警察。もう一つは、この本の主題である公安警察。
公安警察は、元々は内務省や特高の流れを組んでいて、思想的に偏った人・団体の情報を絶えず収拾し、事件を「未然」に防ぐ、というのが主な目的。反対に刑事警察は事件が起こった「後」から、基本的に動き出します。
で、実際にどのような手法を用いているかというと、いわゆる諜報活動。もちろん、昨年までは違法行為であった、盗聴なども含みます。
上記の通り、公安警察が注力するのは、発足当時は思想的に偏りがある、という条件がありました。もちろん、左翼・共産主義団体・国粋主義団体、などですね。
が、現在では市民オンブズマンやジャーナリストの任意団体など、その調査対象を無差別に広げているそうです。このままでは公安警察による国民総監視が常態化するのではないか、という危惧を作者は抱いています。
確かに、行き過ぎた「監視」は問題があります。が、僕自身の考えとしては、諜報機関ではなく、内閣に直属する形での「情報機関」というのはあってしかるべきではないか、と思います。今は内閣情報調査室、というのがありますが、ここに公安警察を移して、もっと内部をディスクローズして運営すべきではないかと思うのです。
もちろん、その任務の性格上、完全にオープンに出来ないのは当然。でも、アメリカでもフランスでも、そしてイギリスなどでも、統一的な公的情報機関が存在しますし、その存在をちゃんと国民によって認められています。もちろん反対派もいるでしょうが。
日本にはそういう「統一的な」ものがない。派閥、縦割りで、内閣の元にはきちんと整理された情報が入ってこない。このような状況で「危機管理」をしようというのがそもそも間違い。
もちろん、その際にはきちんと法で、どこまで許されるのかという「一線」を明確にすべきですが。今のようになし崩し的に拡大解釈を続ける(官僚がよく使う手ですが(^^;)よりはましですね。そして税金使っている以上、その活動に対するアカウンタビリティはしっかり示してもらわないと。