今朝起きて、メールを読んだら、その中に友人の訃報がありました。その瞬間、心臓をぎゅっと掴まれたようになって息が出来なくなりました。何度読み返しても、読み間違えじゃないことがわかったら、「悲しさ」で胸がいっぱいになりました。
「悲しい」、決してこの一言で言い表せる気持ちではないのに、それ以外の言葉が見つからない、言葉が貧困な自分が無性に腹立だしいです。言葉が無くなる、というのはこのことを指すのかもしれません。
その人は学生時代から知っている人で、でも今は頻繁に会うほどの近しい関係ではありませんでした。それでも、学生時代に仲間達で共有できた時間は今も胸の中にあり、かけがえのない思い出になっています。
仲間内でも最も早く結婚した人であり、パートナーも同じタイミングでその仲間内に入ってきた人だったので、お二人とも知っているのですが、お二人の結婚式に招かれたときは、本当にうらやましく思いました。その後もお互いを尊重しあいながら暮らしている話を聞いて、僕にとって理想的な結婚の姿だと思っています。
本当に、本当に悲しくて、取るもの手につかず一日を過ごしました。こんなに悲しい気持ちになったのは父が亡くなったとき以来。「生と死は表裏一体」、父が急死したときにそう思いましたが、今日改めて、生きているからにはいつかは死を向かえるときがくる、ということを思いました。
そして、それでも明日になれば日はまた昇るのです。辛くても悲しくても、明日になればまた新しい一日が始まって、現実と向き合って生きていかなければならない。その繰り返しによって、時が悲しみを少しづつ癒してくれるのだと思います。残された人たちは、いろんな思いを背負いながらも、前向きに生きていかなければならないのでしょう。
心から、本当に心からその方のご冥福をお祈りします。