ここ数週間、香港では立法會(香港における国会)にて『高鐵』が決議のテーマになっていました。
『高鐵』とは、香港から広州までの新高速鉄道のことで、これを立法會がこの計画を承認するかどうかでもめていたのです。広州から先は北京まで繋がる予定になっているのですが、既に香港−広州は直通列車があるのに、多額の費用をかけてもう一本増やす必要があるのか、というのが主な論点。
この『高鐵』計画に反対している香港市民達が立法會を取り囲んで、デモを行ったりしていました。今日は13,000人も集まったそうです。
それでも立法會は押し切って賛成決議を出したようです。
このデモで注目されたのが80年代生まれ、所謂「80後」と呼ばれる世代です。その中心となった1987年生まれの陳巧文さんは香港大学の学生で、Wikiにも記載があるほど、影響力を持っています。
ジャパナビりえさんのblogにもそのことが書かれています。
少し長いですが引用させてもらいます。
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香港で生まれ育った彼らは、中国の「80後」とは全く異なります。
チャイナパワー、チャイナドリーム、現在の中国は怒涛の経済成長期。
中国の「80後」たちは、優秀であれば将来は明るい、
頑張ればいい暮らしが出来る、出来るかもしれないという希望が
あります。(もちろんみんなにあるのではなくごく一部の人にですが)
国や社会全体のことよりも、自分がいかにいい暮らしをするか、
いかに成功者になるかという方向に気持ちが向いている人たちも
多いはずです。
かたや香港は、経済成長期はすでに終わりました。
現在はもう成長しきった段階にあります。
海外留学をしても、大学を優秀な成績で卒業しても
自分たちに回ってくるコマがない、そんな状態です。
そして、これからの香港が、今の香港を維持し続けることが
できるか、それが一番関わってくるのは彼ら「80後」です。
それを香港では、彼ら自身が自覚しています。
「わたしたちが香港社会を守り、変えなければいけない。
次の香港を支え、中心になるのはわたしたちなのだから」
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「80後(香港の80年代生まれ)」と「80后(中国の80年代生まれ)」の違いは、その世代の持っているエネルギーの発散方向の違い、と言えるでしょうか。自分たちが幸せになることが第一なのか、自分たちが生かされている社会全体の幸せを求めるのか。
僕の周りに「80後」と「80后」、どちらもいますが、その意識の違いははっきりと感じます。だからといって「80后」が悪いわけでは決してないのですが、まだ彼らの国では社会全体のことを考えるという概念を持つ事自体が稀なのかなと感じます。