香港人の多くが求めているもの

このblogを読んでくださっている人の半分以上は僕の事を直接知っている方かと思います。残りはMBAか香港かいずれかのキーワードで見つけてくださって読み続けているのだろうとお察しします。

その皆さんがどの程度香港事情に詳しいか分からないけど、Twitterを見ていても誤解・混同されている事が多い、ここ5年くらいの香港の政治事情について、簡単に纏めてみます。

香港人の多くが求めているモノ、それは以下のツイートに凝縮されています。

民主主義はその萌芽が英国領時代に生まれ、特に最後の総督だったパッテン氏が推し進めたものの、まだ完全に根付いているわけでもなく、また法制上も整備仕切れているわけではありません。その点は香港基本法制定時、将来徐々に整備していくこととして、行政長官選出を普通選挙でおこなう事を達成(45条)、立法會議員の選出を普通選挙で行う事を達成(68条2項)するという2点が明記されており、香港人はこれを元に民主を「求めて」います。

自由に関しては英国領時代から言論・表現の自由は担保されており、こちらは「これまで通りの自由を維持」することを求めているわけです。この2点は「現在ないものを求めている」のと「現在持っているものを手放さない」という点で大きく違います。

2014年夏の終わりから始まった雨傘運動は、中国政府が行政長官の選出方法を「中国が考える民主的な普通選挙」で行う事で確定したことがきっかけで始まっています。ですのでこれは「民主を求めるデモ」であり、結果としては民主を得られなかったので失敗と言えるでしょう。

2019年夏の始まりから起こった反送中デモは、容疑者引き渡し条例の対象国に中国が入っていたことから、現在香港人が持っている言論・表現の自由が奪われるという危機感から起こったもの。どういうことかというと、2016年初頭に起こった銅鑼灣書店事件がその背景にあります。これまで一般的には無名であった(政治家でも民主活動家でもない)、反中的なゴシップ本を出版・販売していた銅鑼灣書店のオーナーや経営陣5名が香港やタイから密かに中国国内に拉致監禁され、罪の自白を強要されたというもの。容疑者引き渡し条例が可決すると、中国が容疑者だと認定(香港側の認定は不要)した人物を、拉致しなくても香港側が自動的に引き渡してくれることになり、香港内での言論・表現の自由も担保されなくなるという「自由を失われる」危機感から発生したわけです。

同じ大規模デモでも発生した原因、そして求めているモノが異なるので、それを全部ひっくるめて民主・自由を巡る戦いと称するのは、メディアの見出しとしては致し方ない気もしますが、そうじゃないんだよということは知っておいて欲しいなと思います。