2025年夏、東京の学校編入生活総括

2年越しの、久松小学校・久松幼稚園への編入。中央区役所のご担当者、教職員の皆様には感謝しかありません。本当にありがとうございました。

昨年、都の教育委員会による短期の編入学(体験入学等)について、原則認めないというルールに代わったため、うちのような海外邦人による現地長期休みを利用した短期編入が格段に難しくなりました。その条件を満たすために、香港に来て以来18年間やらなかったことを実施。それは「住民票を入れる」です。

住民票を入れるにも厳格なルールがあるため、ホテル等商業施設では不可。今回は学区内のマンションを1か月賃貸し、そこに住民票を入れることで条件をクリアできました。最初の難関は、そのような物件を探すこと。年初に目を付けた、今回借りた部屋よりも学校に近く安い物件は、半年先の予約は不可と言われ、5月まで待っていたら他の方が一気に9月まで借りてしまってあえなく利用不可に...それ以外の物件だと家族用の広さでは70-80万円/月と言われ、なかなかちょうどいいのが見つからず。なんとか探しあてたのが、今回のお部屋。最初の物件よりは若干高いものの、無難な金額。いい物件が運よく借りられたのはよかったです。とはいえ、初めて聞く会社の物件だったので、壮大な詐欺だったらどうしようと、東京行くまで不安ではありました。

また区役所や学校側と事前に何度もやり取りをしつつも、住民課で住民票を入れてみるまで本当に編入できるかわからず、それもかなり不安ではありました。無事できるのを前提として、久松小学校の制服を扱っているお店に事前に連絡したり、健康診断のためクリニックを予約したりも先行してやっていました。また区役所、学校、預かり保育や放課後対策での延長預かり、クリニック等、何度も手書きで個人情報を書きまくり、10年分くらいの量を手書きしました。

編入できてしまえば、あとは平日毎朝子供達を学校へ送った後、僕は夕方までがっつりお仕事。お迎えは連れてきたフィリピン人ヘルパーに任せることができたので、仕事の方もかなりはかどり、日本のビジネスやる上で日本にいるのはやっぱり重要かも...と思いつつ、夕方からは時差もあり、僕が担当しているインドのお客さんとの打ち合わせが入り、毎日かなり充実していました。

子供達は、慣れない環境ということもあり学校行きたくないと言い出すこともありましたが、それでも駄々こねることなく、ちゃんと時間になったら制服を着て一緒に僕の学校へ向かってくれたので、子供達にも感謝です。怪我も病気もなく、毎日通えたのは本当に良かったと思います。全ては僕が自分の母校に入れたいというエゴで始めた計画なので、学業はいいからとにかく日本の学校の仕組みを学んで、日本にいる同世代の子たちと楽しんでくれればそれで充分、と思っていました。

小2の8歳児は補習校と同じ国語の教科書を使っていたのですが、それでも漢字テストでは間違いが多く、本人は少々しょげていました。半面英語の授業ではほめられたと嬉しそう。4歳児は英語を話すという双子の女の子たちと仲良くなったようで、2週目からはその子たちの名前を毎日聞かせてくれました。またお天気がいいと毎日でもプールに入るので、それも幼稚園へ通い続けてくれたモチベーションだったようです。

登校最終日には二人とも学校から寄せ書きと写真をもらって帰ってきて、お友達にも恵まれた様子がうかがえました。学校側も都の方針が昨年変わったとはいえ、短期編入には慣れていらっしゃる様子でもありました。

学校側が受け入れに慣れていたとしても、今回のうちのようなケースは、現場の方々へのご負担が増えるのは間違いないですし、また学業に力を入れなくても...というのはうちの話だけであり、うちの子供達のせいで元々通っている他の生徒さんの勉強の足を引っ張るのも本意ではなく、現地校長期休暇時の日本での編入は小学校までで、中学校以降は難しいと理解しています。

また学校、給食、そして延長預かり等はいずれも無償。僕は日本では消費税くらいしか払っていないわけで、その点フリーライダーの誹りは免れないと思います。海外邦人の子女のため、現場の負担を減らしたり、必要であれば実費精算するなど、制度を用意してもらえるのが一番だと思うのですが、そのような制度が整うのを待っているとうちの子たちは成人してしまう(かもっと先になるかも)ので、僕の我儘ですが、今後も小学校のうちは短期編入を続けられればと思っています。

そして、昨年入善では感じなかったことが一つ。それは僕がもし小3以降も富山に行かずに東京に住み続けていたら...まさに今回のような生活をしていたのかも、という「What if」を体験している感覚。朝子供を学校に送って仕事に行き、帰宅途中に延長保育後の子供を迎えに行く、という生活。

もちろんその場合は香港を始めとした海外に住みたいと思うこともなく、外資系企業で働くこともなく、今と比べれば平々凡々な普通の日本人の生活をしていたのだろうな...と思いました。これはこれで幸せな生活だなぁと。ただしその場合は今の4歳児、8歳児が自分のもとに生まれて来てくれていなかったでしょうが。

さて次の日本での通学は冬か春か、もしくは来年の夏になるか、まだわかりませんが、もう少しスマートな方法で次回はできればと色々検討中です。