最近固い話題が多い気がしますが、まだまだ続きます(笑)。
今日のテーマは「政治への無関心」。最近頓に多くなっていますよね、政治に無関心な人。
しかし、無関心なままで良いのでしょうか?無理に関心を持てといっても、無駄だし、強要すべきではないとは思います。だけど、少し考えて欲しいのは、無関心であることも、ひとつの「政治への態度」であるということ。
たとえば、これからさらに金融関係の倒産などが相次ぎ、預金保険機構も破綻し、もちろん国家財政も大赤字だから預金者に対して補償が出来ない状態に陥ったとします。
この場合、政治に無関心な人たちは、決して政治家を攻められないと思うのです。自分に関係する問題が起こったときだけ政治家のせいにするのはおかしいと思うわけです。多くの国民が一時的な目先の利益ではなく、長期的な視野に立って政治家を選んでいれば、そんな問題もクリアできたかもしれないからです。
無関心・関心のかかわりなく、様々な問題を政治家のせいにする人は多いです。しかし、その政治家を選んできたのはどこのだれか?それは現在選挙権を持っている日本国民ではないでしょうか?自分たちが選んだくせに、問題が起こったときだけ政治家のせいにするのは、非常に無責任でしょう。
もちろん、様々な事情があって、どうしても入れたくない政治家に一票を投じなければならない場面というのは、少なからずあるはずです。だけど、そういう人に政治家を批判する権利はないと僕は思うのです。厳しいようだけど、どんな事情にせよ、選んだからには、選んだ国民も責任を持つべきです。
僕の考えるに、政治家というのはやはり国民の鏡だと思うのです。つまり、政治家の良識が低いというのは、選んだ国民の良識が低いんです。だって、あれだけ問題を起こした元首相の竹下さんだって、地元に帰れば大歓迎を受けるわけです、よく働いてくれているね、と。問題が起こるのは彼個人が悪いのではなく、彼の地元の民衆の考えを反映しているに過ぎないと思うわけです。本当に竹下さん自身に問題があるのなら、選挙で落選するはず。問題が起こっても当選し続けているのは、地元民の意識も彼の意識も同類だからでしょう。
それゆえ、政治を変えるには、政治家や政治制度、選挙制度をいくら変えてもあまり効果はないと思います。それよりも、国民の意識を変えないと、どうしようもない気がするのです。そのためには、教育も変えていかなければなりません。画一教育が必ずしも悪いとは思いません。ただ、もう少し政治意識を高めるような方法を教育の中に組み込む必要があるでしょう。そこから始めないと政治はかわらないんじゃないかな、と思っています。