『名もない母親たちの革命。敵は、"空気"だ。』

「 #保育園落ちたの私だ」無名の母親たちが起こした、空気に対する革命:ヤフーニュース

非常に良い記事。本件を引き起こした匿名の元の記事に対して色々批判もある(待機児童ゼロの地域もあるとか、言葉遣いが悪いとか)ものの、実際に首都圏で子育てのためにキャリアをあきらめざるを得ない母親が少なからず存在するのは事実。

子育てか、キャリアか、というのは二者択一ではないはず。両方を求めることは決して贅沢ではないです。むしろ今の安倍政権では女性が活躍出来る時代を作りたいと謳っているわけで、だったらなおさら、この問題に真剣に取り組むべき。

上記リンク先の記事の最後の段落が今回の件の本質を表していると思います。以下引用します。

名もない母親たちの革命。敵は、"空気"だ。

こうした盛り上がりに対し、いろんな意見が飛び交っている。非常に理知的に意見を言う人もいて、だいたいは男性だ。例えば、保育園が増えないのは地方自治の問題なのに国会に訴えても意味がない、という人もいる。これに対して理知的に返すこともできるのだが、私はそういう論理を駆使することにはそもそもあまり意味がないと思う。いま起こっているのは、「空気に対する革命」だからだ。
声をあげた女性たちが何に憤っているのか。保育園が増えないこと。保育士が足りないこと。一義的にはそうなのだが、本質はもっと奥にあると思う。
彼女たちが声をあげているのは、子どもを育てながら女性が働くことにあからさまに否定的な、この国の空気に対してだ。
そしていま、この国の空気が変わろうとしている。その視点からすれば、いま起こっているのは比喩でなく革命だ。働く女性たちがいま、明確に革命を引き起こしているのだ。
働くのは賛成だが、家事は手を抜かないでくれよな。さすがにそんなことを言う夫はいま、いないだろう。だが働くことに反対する実家や親戚。これはいまだに多いようだ。育休を、堂々ととれる会社はどれくらいあるだろう。子どもが病気なので早退したいと言った部下を、こいつはここまでだなと軽蔑する上司はそこここにいるだろう。ベビーカーで電車に乗ることについての議論はいまも尽きない。問題は、制度の前にある。空気にあるのだ。働く母親を否定する空気でこの国は満ちていて、窒息しそうだという悲鳴。それが「日本死ね」の真実だと思う。
こんな空気が漂う国は、どうやら日本だけらしい。欧米はすでに70年代以降、新しい空気をつくり、少子化を克服した国も多い。日本はまだ、70年代から変わらぬ空気で満ちている。それによって少子化がぐいぐい進み、人口が減り国力が弱まるのに。今後10年間で日本は人口の5%を失い。それから先は十年ごとに1000万人ずつ減っていく。何をどうやっても、右肩下がりにしかなりようがない。この空気を変えないと、ほんとうに「日本死ぬ」なのだ。
そうなるのか、空気を変えて流れを食い止めるのか、この"革命"の私たちの受け止め方に関わっている。