前にも同じようなことをこのエッセイで書いたと思いますが、いろんなことが起こるにつけて「時が解決する」ということの真実味を何度も重ねて感じてしまいます。忘れちゃいけないことを忘れさせてしまう残酷さもあるかもしれませんが、忘れるべきことをしっかり昇華させてくれるという面もあります。
> 時に長さがあるなんて 誰が告げたのですか
> 僕はあの日の君の姿 今も見つめることができるのに
それでも100%の昇華というのは、なかなか難しいのかもしれません。自分の想いのとおりに結果が運ぶことを満足と呼ぶのであれば、昇華は決して望むべき結果ではなく、したがって昇華は決して満足と同じ地位には立てないのですから。
> 街角で偶然に出会った とてもとても遠い日
> 幸せを尋ねる戸惑い どうしてか聞けない僕です
それでも、人は生きていかなくてはならないです。自分の想いのとおりに結果が運ばないことだってあります。むしろその方が多いでしょう。望むべき100%の満足ではなくても、人は時の助けを得てそれを昇華し、経験として、あるいは想い出として、携えることになります。
> 時はもとに戻れないと 誰が決めたのですか
> 心の中のあこがれが 今もふくらんでいくと感じているのに
ま、気長に生きていくことにしましょうか・・・。