2002年6月アーカイブ

2002/6/30(日)14:05 - もりもり (男) 削除

遊人(ゆうじん)という漫画家がいらっしゃいます。現在も活動されていらっしゃるのか
どうかは分かりませんが、筆者が中学生か高校生くらいの時にいろんな意味で話題になって
いたので、知ってる人は知ってると思います。漫画好きな女の子もその名前を知ってると
言っていたので、まぁ一般的にも結構有名な人なのかもしれません。

何作かある漫画の中で、当時ヤングサンデーに連載されていた「ANGEL」という漫画があり
ます。まぁ内容については賛否両論あると思いますので(笑)詳細はここでは書きませんが、
中学生か高校生の男子には大変興味深い内容であるということですな。ただ筆者は、語弊を
恐れずに言うならば「面白い漫画」であると言いたいと思ってます。

先日ひょんなことでこの漫画の単行本を十年ぶりくらいに目にしまして、ちょろちょろっと読んでみたのですが、その画は大変綺麗なものでした。筆者は漫画に関してはそれほど詳しくはないのですが、上手い絵だなぁと素人なりに思いまして。今考えればちょっと無理のある(いや、かなりハチャメチャな)設定なのですが、その端々にバブリーな頃の雰囲気も若干感じることができました。

一番驚いたのは、この漫画が「国立南高校」という学校を舞台にしているということです。そう、筆者が住んでいる町です。漫画の中にも国立駅とか、中央線の描写が出てきてました。当時は、自分が読んでいる漫画の舞台になるような街に、数年後自分が住むことになろうとは全然思ってもいませんでしたけどね。

だからどうだってわけではないのですが、微妙に嬉しかった今日この頃。

表題の説をよく口にする筆者の友人K氏、先日銀座某所で交流会?と呼ばれるイベントをしていたそうです。要は飲み会ですな(^-^;)。ところが、なんと筆者の同僚M氏が、すぐとなりのスペースで同じく飲み会をしていたんだそうです。

M氏とK氏は筆者と一緒に一度飲んだことがあり、M氏はK氏の顔を覚えていたんだそうです。K氏は交流会に夢中で気づかなかったようですが、翌朝M氏から事情を聞いた筆者は早速K氏に連絡しました・・・、随分驚いていたようですが。悪いことは出来ませんね(苦笑)。

筆者もオフィスが新宿にありまして、その近辺で飲む機会もありますから、実は結構いろんな人をみかけたりしてるんですよ・・・。声をかけられる環境の時はもちろんお声かけしますけど、かけにくい場合もありまして・・・(笑)。ご注意あれ。筆者も気をつけます(爆)。

ちょっと前に話題になった100人村の話ではありませんが・・・、筆者の友人が時々口にするのが表題の説。彼曰く、新しい人と出会った場合、その人と自分の間に共通の友達が既に存在する確率が非常に高いとのこと。「実は世界には1000人しか人間がいないのではないか?」そんな日常の感想を例えた表現だというふうに思ってください。決して彼の生活している世界が狭く留まっているわけではないのです。むしろ筆者なんかよりも広いステージで生きてるんで。

そんな彼が同郷出身の友人Aさんと東京で飲んでいたんだそうです。ある意味異境の地である東京で酒を飲んでいた時・・・Aさんの携帯が鳴りました。Aさんの友人、Bさんからの久々の電話です。何と偶然ではありますが、その電話をかけてきたBさんも、すぐ近くで飲んでいたというのです。その後、当然3人は実際に会って挨拶を交わしたのは言うまでもありません。

ここで「偶然ってすごいね」で終わらせるのも結構。でもこれは偶然ではないと思うのです。何が偶然ではないかというと「Bさんが電話をかけている」という行為が偶然ではないと言いたいのです。もちろん、まさにグッドタイミングであったということは偶然です。でも残念ながら、人間というものは電話すらかけない間柄になってしまう場合もあるわけです。あるいは気軽に電話やメールしたくても、何故か連絡しにくいような間柄になってしまう場合もあるわけです。この場合、AさんとBさんのお互いが「電話できる間柄」でありつづけ、しかも実際に「Bさんが電話をした」ということなのですから、これは偶然でも何でもなく、二人の確固たる意思が生み出した結果なのです。

人と人とのつながりというのは単位をつけて測れないだけに難しいとは思います。しかし筆者の場合も、無意識のうちに関係を保つように、あるいは世間一般的には保てない環境に陥ってしまっている場合、もしくは保つことは許されないとみなされている環境に陥(おとしい)れられている場合に至っても、諦め悪く、しつこく意識的に保つようにしてしまっているように思います。ここまで諦めが悪い(笑)のは、筆者が寂しがり屋だからなのか・・・。いや、弁解ではなく、それだけの理由ではないと思っています。強(したた)かに、筆者の周りにいる人たちとつながりを持つことの価値を数値化して測り、その結果として何かしらの方法をもってして関係を保とうとしているのだと思います。

もちろんこれらの行為は、筆者が意識的に行っているわけでは全くないのですが。しかし、そういう行為を筆者が無意識的に行っていると仮定しなければ、これだけ回りに素敵な方々が集まってくれている現在の状況を論理的に説明することが出来ないのです。

最近ダンスやバレエを始めた、という言葉をよく耳にします。そしてなぜか全員が女性です。体の線が綺麗になるとか言われてるみたいですが、果たしてどうなんでしょう。運動という点では結構体を動かすでしょうから、しっかり続ければそれなりに効果はありそうですけどね。でもバレエはともかく、ダンスって男女が1:1でやるはずなんで、女性の人数だけが増えているという状況は若干不思議ではあるのですが・・・。そういや陶芸教室に通ってるってのも時々耳にしますね。よく言われることですが女性って習い事好きなんですね。

フラメンコとかサルサとか、踊りの種類にもいろいろあるようですが、どんな踊りにしろ「男がリードしてくれると踊りやすい」んだそうです。これは女性側の言い分ですが(^^;)。勝手な言い分だなぁとも思いますが、まぁ踊りという行為自体が、元々男性が女性をリードする環境を作り出すために出来ている、という側面もあるんでしょうな。

ダンスといえば思い出すことがあります。1998年11月に筆者はアイルランド北西部のとある小さな村にいました。20日程滞在していたのですが、その間に覚えたものが二つあります。ギネスとアイリッシュダンスです。覚えたと言っても、今でも実践しているのはギネスの方だけですが(苦笑)。アイリッシュダンスは独特の民族音楽に乗せて、足を鳴らしながら踊るような感じのものです。文字だとうまく表現できませんが。

村の公民館みたいなところで踊りを教えてくれるというイベントに、その村に滞在していた外国人が何人か参加することになったのです。近くの町にあるという美術学校に留学しているという学生さんたちも何人か連れ立って来ていました。まず地元の人が踊るのを少し見せてもらったのですが、これがなかなか素敵。田舎町で若い人なんてほとんどいなくて、まぁ結構太目のおじさん、おばさんが多いわけですが(爆)、ところがどっこい踊りの軽やかなこと(笑)。さっきまでむすっとしていたおじさんが、音楽が鳴り出すと突然ステップを踏み出してトッコトッコ踊りだすわけです。

近くの大学で先生をしているという人がステップの踏み方からダンスの輪の作り方まで丁寧に教えてくれました。さすがに一回目はほとんど踊れませんでしたが、翌週の集まりの時には何とか踊ることが出来て。スペインから来ていた女性とたまたま一緒に踊って、地元の人から拍手を頂戴しました。

They said to us, "The Spanish girl and the Japanese boy have danced to Irish music!"

ダンスを踊れたこと自体も嬉しかったのですが、そういった環境の中で、地元の人たちと空間と時間を共有し、一緒になれたこと、それ自体が嬉しかったのだと思います。時間的には大変短い経験でしたが今でも鮮烈に覚えている印象深い感覚です。

筆者は温泉が大好きです。週末、特に予定の無い日なんかだと、ふらっと山梨とか神奈川の山中にドライブがてらに入っていって、温泉に入って帰ってくることもあるんです。元々が田舎者なんで、人がたくさんいる場所よりも山の方が落ち着くんですよね。殊に最近、これまでにも増して日帰り温泉に行く機会が多くなってるので、最近の成果を簡単に報告しておこうかと・・・。

6/2(日) 中川温泉
丹沢湖の更に奥、秘境っぽいところです。宿も数件あるようです。多摩地方から中川温泉に行こうとすると秦野あたりまで一度出てから北上しないといけないので結構遠回りになります。日曜日の午前中、早く目が覚めてしまい、9時頃に掃除洗濯関係が全部終わってしまったので「じゃあどっか行くかなぁ」と思い立って出発しました。突然思い立って行くには遠すぎる距離だと後で気づきました(爆)。アルカリ性が強いお湯なのでお肌がツルツルになります。

6/8(土)ゆっくら健康館
大洗の水族館がリニューアルオープンしたということで、行ってみることにしました。海に臨む立派な建物の中には様々な魚が泳いでいるだけでなく、新鮮な魚を扱うお店や(笑)うまそうな寿司屋もありました(爆)。その水族館の近くにある大洗マリンタワーという展望台のすぐそばにある温泉施設が表題のゆっくら健康館。食塩泉なので特記事項はありませんが、森下仁丹提供の薬湯(薬草の汁が溶け込んでいる)は気に入りました。風呂上りにぽかぽかと同時にスースーする感覚があります。

6/15(土)勘太郎の湯
紫陽花とスイッチバックで有名な箱根登山鉄道の終点、強羅駅近くの温泉。源泉が高温なので冷泉を温めたお湯とは違う、心から温まる感覚が得られます。もともとは紫陽花を見るために箱根に行ったのですが、まだ五分咲きって感じでした。同行した友達とは「どうせ来るなら泊まりでゆっくり来たいよね」という意見で一致しました。帰りには小田原の素敵なワインバーで食事とお酒を楽しみました。こういうお店を知ってる人って素敵だなと感心します。でも悲しいかな、終電が早いので筆者は早々に退散。

6/16(日)ごかんの湯
相模湖の奥にある施設。アルカリ性なのでお肌がツルツルになります。このあたりには同様の施設がいくつかあって、ひととおり回ったのですが、ここが最後の一箇所に(最後まで残してあったので)なっていました。高速を使うと国立から1時間程度で行けるんですね。飲用も可能ということで味わってみましたが、硫黄分が溶けているのか結構飲み難い味。大学時代の後輩に運転してもらって、先輩と一緒に乗せてもらって行きました。

一通り近場は制覇しましたんで、今後は清里〜甲府近辺の温泉を攻略しようかと♪あとは鬼怒川温泉かな。実は日光に一度も行ったことの無い筆者は、鬼怒川一泊+日光観光という典型的コースを熱望していたりもします。

自分の誕生日を祝うとか、誕生日のために何かしてもらう、というのがどうもこっぱずかしくて。だから自分の誕生日を他人に言ったり、プレゼントをねだったり(たとえそれが話のネタとして冗談半分の発言だったとしても)することが出来ないんですよね。逆に他人の誕生日にメールやカードを贈ったりすることにも何か変な抵抗があったりして・・・。基本的にイベント事が嫌いなんですよね。ちなみに女性ってイベント事に敏感で、日付なんかもよーく覚えていたりするのでまた困りものなのですが(爆)。それはおいといて、誕生日だから、って理由で何かしたりされたりするのが個人的にあまり好きじゃないんですよね。

誕生日を素直に喜ぶ人というのは、歳を重ねれば重ねるほど減っていくような気がします。せいぜい恋人と一緒に過ごす、なんてこと程度で。自分が幼かった頃のことを考えてみると、親しい友達に声をかけて、一緒にお菓子やケーキを食べたりしたなぁなんてことを思い出しました。自分の誕生日が春休みのまっただ中にあったから、という理由もあったかもしれませんが。

フランスに住んでいる知人(知人と呼ばせてもらうには申し訳ないほど素敵なムッシュですが)から興味深い話を聞きました。バースディカードやプレゼントを受け取るのはもちろんですが、逆に日頃世話になっている人たちに誕生日を迎えた本人がケーキを配ることもあるというのです。

前述のムッシュ曰く、誕生日を迎えることが出来たということは、今日までこうやって元気に幸せに生きてこられたことを家族、友だち、同僚に感謝するということではないかと。確かに周りの人たちの支えなしには生きていくことなんて出来ません。とかく「歳をとる」区切り目としてしか見られない誕生日ですが、自分が存在できることへの感謝をささげる日という捉え方もあるのかな、と感じました。

ヨーロッパで十数回の誕生日を迎えた方の言葉には重みがあります。最後に彼からもらったメールの一節を引用させてもらいます。

> ぼくの誕生日はここ4、5年連続で、重要な会議と同じ日。そのあと会食がある。
> ウェイターに頼んで別勘定でシャンペンを用意してもらい、デザートのときに栓を
> 抜いてもらう。
>
> 「今日はぼくの誕生日です。日頃ずけずけと言いたい放題いっていますが、
> こうやって仕事ができるのも皆さんのおかげ。ささやかですが感謝の気持ちです。」
> といって乾杯するのです。

かっこいい人は何をしてもかっこいいものですね(苦笑)。

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