2002年7月アーカイブ

筆者はどうやら学歴コンプレックスというものを持っているらしいです。うーん、これは個人的には認めたくない事実なのでありますが、どうやら持ってしまっているらしいのです。

就職活動をしていた時、筆者はとあるコネの関係で、とある就職関連雑誌の取材を受けました。恥ずかしいことに1ページを裂いてインタビュー内容を載せてもらったのですが、その中で「大学名なんて一切関係ありません!やりたことをやるために、行く会社を選べば良いんじゃないですか?」なんて、今思えば偉そうな発言をしていたように記憶しています。そういった純粋な発言が出来ていた当時がたまらなく懐かしく、羨ましいです・・・。

その後いろいろありまして、今では学歴コンプレックス的感情にどっぷりはまってしまうことがあります。ただ、これが、どうやら普通の方々が感じる学歴コンプレックスとは違うようでして。普通は偏差値ベースのコンプレックスってのが多いようなのですが(自分の学歴が周囲に比べて相対的に低いと感じてしまい、それを負と感じる)筆者の場合「特定の大学」に対する狙い撃ち的なコンプレックスのようでして。憎しみでも逆恨みでもない、微妙で、言葉では上手く表現の出来ないコンプレックスなのです。何故このコンプレックスが自分の心の中に芽生えてしまったのか、それを筆者自身が表現することさえ難しいのです。

国立という土地に住み続けているという特殊事情も、そのコンプレックスの形成に一役買っていたのしまったかもしれません。筆者は大学3年の時に国立で一人暮らしを始めました。当時そのコンプレックスの対象となる大学に在籍していた友人と一緒に部屋探しをして、現在もなお住んでいるこのアパートを見つけたのでした。彼は今は別の場所に引っ越していますが、今でも連絡を取っていますし、彼個人を尊敬(というと言い過ぎかもしれませんが ^^;)する気持ちは今も寸分変わりはありません。

この町で暮らし始めて、バイトの面接や、大家さんとのちょっとした会話の中でも「○○大の学生さん?」という問いかけを受けることがほとんどでした。わざわざ国立で一人暮らしをしている学生というのは高確率でその大学の学生である、というような扱いをされていました。当時は何の抵抗もありませんでしたが、今になって、その問いかけの重みを今更のように感じることがあります。

今現在、このコンプレックスを解消する手段が筆者には分からないのです。前述した単純な「偏差値ベースの負のコンプレックス」であれば、例えばその大学の大学院に社会人入学してしまうとか、別次元で米国の有名なビジネススクールで学ぶとか、そういった方法でコンプレックスが解けるはずです。ところが、現在の感情的に、どうやらそういった方法で解けそうも無いものがその場所に重々しく横たわっているらしいのです。

おそらく全然別の世界で競い、そこで満足を感じていく(つまりコンプレックスを忘れさせる方向ですね)しかないのでしょう。あるいは逆の発想で、そういうコンプレックスを喉元に刺さった小骨の如くずっと感じながら、常に反発の気持ちで頑張りつづけるというのもアリかもしれません。

この業界ではよく使われる言葉です。金融の世界に行くと全く別の意味で使われたりもするようですが。ともかく結構便利な言葉なのでついつい使ってしまうのですが、違う業界の人に対しては全然通じなかったりするので注意せねば、と思っております。

デフォルトという形容詞を使うのが適切かどうかは分からないのですが、最近いくつか行われた行事を見ていて再認識したことがあります。

・「World Cup」のデフォルトは「Football」
・「Open」のデフォルトは「British」

多くの競技においてワールドカップ(世界選手権)は開催されていますが、単に「ワールドカップ」とだけ言った場合には、それはサッカーのワールドカップを意味します。同様に「ジ・オープン」と言えば、それは全英オープンゴルフのことを意味します。全米オープンはちゃんと「US Open」なのに、決して「British Open」という表記はしないのであります。

そういえば「City」という表現(ロンドンの金融街)もこれに似てますね。footballもイギリス発祥のスポーツだし・・・。デフォルトというか、単にQueen's?(苦笑)

とにもかくにも「このイギリスっぽさがたまらない」とは故・池田貴族の弁。御意。

筆者が大学に入った当時、まだインターネットというのはそれほど一般的なものではありませんでした。"@"(アットマーク)なんて今でこそ普通に使われますが、当時は電子メールを使う場合でも、そのアドレス(当時はIDと呼ばれてましたね)には"@"はついておらず、単なる英数字の羅列でした。

電子メールの代表的な利点として「場所と時間の制約がなくなる」ということが挙げられます。場所の制約という点では、放浪癖のある(笑)筆者の場合、自宅でも、実家に帰っても、学校にいても、海外旅行中でも、どこにいても同じように自分の電子メールが使えるというのは大変画期的かつ便利なことでした。

時間の制約という点では、とりあえず相手のメールサーバに送っておけば、相手は都合の良いときにそこにアクセスしてメールを読めるわけです。筆者は学生時代は典型的な夜型人間だったのですが、それが早朝型の人と、お互いの生活時間帯を気にせず、気軽にコミュニケーションが取れるわけです。あるいは物理的に時差のある海外を旅行している際には特にこの恩恵にあずかっておりました。

最近は携帯でもメールがチェックできるようになり、また国外でのローミングサービスなども開始されて、電子メールにおける「場所の制約」が更になくなりつつあります。ところがその代わりに新しい意味での「時間の制約」が生まれてきたように思います。メールは本来、時間を気にせずに送ってもかまわないものだったはずですが、最近では携帯でリアルタイムにチェックしている人も多いです。メールが送られてくることが何らかの妨げになるケースも十分考えられるわけですよね。

先日あるメーリングリストに同様の問いかけをする投稿が流れていたのを思い出しました。その時は「メールくらいで堅苦しいこと言うなよな〜、邪魔されたくなかったら電源切っとけば済む話でしょ」と極めて軽率に考えていたのですが、それは元々の、昔の概念における電子メールがそうであったというだけで、今現在の電子メールに与えられている役割とか、それらを取り巻く環境とかを総合的に考えると、そう軽々しく扱うこともできないのかなと思いました。相手の受信環境に合わせた送信心得とでも言いましょうか。

もちろんシステム的に回避することも可能でしょうし、どうすることが一番良いのか結論を出すこともできませんが、筆者がドキッとしたのは「電子メールはこういうものだ」と自分の頭の中で決め付けて、意識的にではなかったにしろ、そういう古い考え方から離れようとしなかった自分の思考がそこにあったという事実です。ちょっと自分の思考に嫌気がさした出来事でした。強く反省。

今日は昨晩の深夜ラーメンの後遺症(笑)で昼前まで寝てしまったのですが、夕方以降は大変有意義な時間を過ごすことが出来ました。本来ならば、何が、どれくらい、どういったふうに有意義であったかをここで書くべきなのですが、筆者の今のレベルではそれを書き尽くすことが出来ないようです。

ただ、すばらしい時間、かけがえのない時間を過ごす(共有する)ことが出来たという事実のみをここに記しておきたいと思います。

最近はすっかりラジオを聞かなくなってしまいました。聞くといえば車に乗っている時にFMを聞くくらいでしょうか。筆者も中学生の頃には深夜放送にはまっていた頃がありまして、オールナイトニッポンを週に3〜4日は聞いていた頃がありました。

月曜のデーモン小暮、水曜日の大江千里、金曜日の鴻上尚史、土曜日の松任谷由美なんかがお気に入りでした。火曜日のとんねるずと木曜日のビートたけしもファンが多かったようですが、内輪ネタがきつすぎて、ちょっとついていけない部分があったように記憶してます。ここに挙げたのは一部とよばれる午前1:00〜3:00の部分で、本当は3:00〜5:00の二部もありました。月曜日が今話題の辻仁成(当時はECHOESのボーカルでした ^^;)、土曜日が田中義剛だったかな。金曜日の二部はPli:z(プリーズってこれで良かったかな・・・)というバンドが担当していたのですが、彼らは今はいずこ。

脱線しましたが、このオールナイトニッポンは日曜の深夜はありません。確か「ナンノこれしきっ!」とかいう南野陽子の番組が0:00頃から放送されてたような気がしますが、その後は午前5時まで放送がぱったり無くなってしまうのです。これはニッポン放送だけでなく他の放送局も一斉に。多分一週間連続放送しつづけた放送設備のメンテナンスの時間なんでしょう。今はどういうシステムになってるのか分かりませんが。

筆者は週に一度のこの時間帯が来るのが何とも言えず寂しかったのです。当時はラジオをBGM代わりに毎日眠りについていたわけです。しかし日曜の夜だけはそれが全く無いわけです。音楽だけならCDでも何でも聞けばいいのですが、CDで聞く音楽というのはある意味いつでも自由に聞けるわけで、その時抱えていた寂しさの解消には全く役に立たないのです。

ラジオから流れる音楽やパーソナリティーのトークというのは、その瞬間だけしか流れないものであって、また同時に、その瞬間を発信側と受信側で共有している、という妙な連帯感がそこには存在していたのです。

翌日からまた学校に行かなくちゃならないからとか、そういう理由から何となく憂鬱な気持ちになって・・・ということでは全くありません。単純に、寂しかったのです。むしろ翌日からの学校での友人や先生との再開を思い浮かべながら、寂しさをごまかして眠りについていたような記憶があります。

今の筆者は、日曜のこれくらいの時間になっても、当時感じていた寂しさを感じることはもうなくなってしまいました。代わりに、当時は決して感じなかった憂鬱さを感じるようになってしまいました。

今日の午後、パートナーさんのところに行きました。銀座線の京橋駅から徒歩1分。そこでセミナーを2時間ほど聞いた後、日本橋駅方面に向けて炎天下を歩いていました。

駅の近くでティッシュを配っている武富士のお兄さん。これがやたら腰が低い。たかがティッシュをもらってあげただけで最敬礼。逆にこっちが恐縮してしまいましたよ。もちろん筆者に対してだけでなく、ティッシュを受け取ったすべての人に対して。なんか妙な違和感を感じてしまいました。ティッシュをもらって逆に悪かったのかなぁ、みたいな変な感情を持ってしまいました。

そこから更に北上中。旅行代理店のJTBがありました。タイの島に行くツアーのカタログがあったので、ふと立ち止まって読んでいました。筆者はオフィスの外に並んでいるパンフを眺めていただけなのですが、ふと覗き込んだ室内では・・・なんと!というか、何故か受け付けのおねえさんたちがすべて浴衣姿(爆)。そうすることに深い意味があるのか無いのかは理解できませんでしたが、たしかにうっかり中にはいってしまいそうになった筆者がそこには存在しました。単に道端が暑すぎた、という理由だけではなかったように思います。

以上、内容のない話を二つほど。失礼しました。

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