【9】国立〜牛久〜土浦

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金曜夜、例によって立川での第九の練習を終え、車で自宅に戻りました。その瞬間から「茨城ツアー」の開始です。荷物を積んで稲城の寮へ、同期の茨城県民を迎えに。途中ガソリンを入れるのも忘れません。先は長いのです。

以前より土浦の花火大会が大変すばらしいという話を彼から聞かされていたので、それを見に行こうという話なのです。こんな時期に花火か?と思われるかもしれませんが、「競技花火大会」なんだそうで、審査員もちゃんといて、順位付けもされるそうで。ここでよい成績を収めた花火師さんたちは、翌年の仕事が増えたり、仕事料も上がったりするんだそうな。面白いシステムですね。要は夏のシーズンを終えた花火師さんたちが来年に向けた営業活動をする場、といった感じでしょうか。

そんな素敵に季節を外した花火大会に思いを馳せながら、23時過ぎに中央道から首都高に乗り、八潮南で下車。ここで稲城で拾った同期が中学時代から知っているという友人の女の子を拾って、一緒に帰ろうというわけ。どうせ車なんだから有効活用してもらわないとね。ここで拾った女性が今回の花火大会の場所取りから何からいろいろやってくれました。感謝です。つまり、僕はあつかましくも地元の方々の同窓会的な集まりの中に無理やり割り込んで、ついでに楽しもうというわけなのです(笑)。

1泊目、牛久の同期宅。着いたのが遅かったのですぐ寝ましたが、翌朝は朝食から豪華に。同期のお母さんがいろいろ作ってくれて。お父さんは関西本線の加太の信号所のスイッチバックが何とやら、というような大変ローカルかつコアな話をいきなり始めて一瞬驚きましたが、もともと関西のご出身で、電車好きな人なのだそうです。

午前中は牛久ワインを造っているシャトー神谷に行きました。ワインを試飲して、3本程買い込みました。電気ブランも試しに買ってみました。電気ブランといえば分かる人は分かると思いますが、ここシャトー神谷は一部では有名な神谷傳衛門氏が起こしたワイナリーなのです。彼は浅草にある神谷バーという老舗にも名を残す、ご立派な方なのです。シャトー内には資料館もあり、過去の資料、写真など興味深く拝見させてもらいました。

そして午後は・・・、そう、花火に行く前に外せない場所があるのです。牛久大仏という巨大仏像です。これは時々都内の電車の中吊りにも広告が出ているのですが、とにかくでかい(120m)仏像なのです。変な国、変な女性、変な食べ物などなど、自他共に認める変わり物好きの僕としては(爆)絶対外せないところでしたので、頼んで連れて行ってもらいました。同期も地元に住んではいるけれども中に入ったことはなかったとのことで、この機会に一緒に入ろうということになったのです。感想は・・・ありがたい、というよりは少し怖かったです。泣いてる子供もいました(笑)。でも変わり物好きの僕を満足させるに十分な内容であったことは間違いありません。自信を持っておすすめしておきます。

夕刻になり、今夜泊めていただく土浦のおじいさん、おばあさん宅にやってきました。同期の母方の親元とのことで、大変元気なお二人でした。何故か中村喜四郎氏や斎藤十郎氏の話で盛り上がってしまいましたが・・・(分かる人だけ分かってください ^-^;)。今夜は花火を見た後、ここで滞在です。

花火を見るために川原まで歩きます。すごい人。でも東京湾の花火大会のような圧迫される混み方ではないな、と感じました。地元の人が多いし、どこか和やかなのです。この雰囲気にも大変ひかれました。川原では場所取りしてもらっていた方々と合流して、ビールなんか飲みながら花火を見ました。偶然かもしれないけど、そこにいらした方々は学校の先生が多かったです。そうか、同じ年(あるいは年下 ^^;)の人が学校の先生になるような年齢に自分もなったのだなぁと、花火とはまったく関係のない感情をその時少し抱いてしまったりして。いや、まぁ楽しいものです。

二日目は北茨城に向けて出発していくのですが、その話はまた後ほど。気が向いたら書きますので。うーん、だらだら長くなってしまうな。僕の悪い癖だな。これではいかん、何事においても!

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このページは、もりもりが2001年10月 8日 15:06に書いた記事です。

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