僕が旅行好きなのは、このエッセイを読んで頂いている方ならだいたい察しがつくと思います。旅行は自分を新しい場所、物に出会わせてくれます。もちろん2度、3度同じ場所にいくこともありますが、いずれにしろ現(うつつ)からは離れた非日常の時間、空間の中で、ある種の違和感を感じ、また現実逃避をしている自分を感じることのできる旅行というイベントが僕は好きです。
旅先ではいろんな人に出会います。印象深い人たちが数え切れないほどいます。普段はほとんど意識することはありませんが、部屋の掃除の途中にふと昔撮った写真を眺めはじめてしまったり、あるいは一緒に旅行をした人と飲みながら昔話をしたりすると、そんな記憶が鮮やかに蘇ってきます。
グアムの恋人岬で写真を撮ってあげた韓国人のカップルは・・・。
ペンザンスの猫だらけB&Bのご主人は、その猫たちは・・・。
マドリードのホテルのフロントの兄ちゃんは・・・。
ブラチスラヴァ城で会ったオーストリア在住の日本人女性は・・・。あの人にいただいたオーストリアの紙幣は、今、カオサン通りの安宿のカウンターに飾られているはず。
サイゴンの動物園の檻の中で退屈そうにあくびをしていたトラは・・・。相変わらず退屈そうに眠っているに違いない。
シリコンバレーで道を尋ねたペンキ塗りのおじさんは・・・。今もまだ、どこかの家の屋根に登ってペンキでも塗っているのだろうか。
ストックホルムの川で、でかいサーモンを釣り上げていたあの少年は・・・。
リンショピンからマルメに下る夜行で隣になった兄ちゃんは・・・。結局3泊もさせてもらって、飲み屋にも連れて行ってもらって。
サンフランシスコからロンドンへの機中で隣になったHP勤務のあの人は・・・。
青函トンネルの函館側出口で会って、その後再度神威岬で会った、袖ヶ浦ナンバーの緑のカローラIIに乗っていたあのおじさんは・・・。
小樽運河で写真を撮ってもらったあのおばさんは・・・。結構綺麗に撮れていたような気が・・・あの写真。
穂別町の国道沿いで道に迷い、道を教えてもらおうと訪ねたあの家の人たちは・・・。あの家の玄関先に買ったばかりのガイドブックを置き忘れてきたっけな・・・。
書き出すときりがないですね。それにしても、これだけのデータが僕の頭の中に入っていて、それなりに整理されてちゃんと出てくるんですね。これがもう少しビジネスに生かせればね(爆)。
もちろんポジティブなことばかりじゃないです。ネガティブなのもあります。しかしそれは旅行での出会いじゃなく、現の出会いが多いかも。
あの打ち合わせ中に教室でガツンと言っておけば良かったなぁとか、あの箱崎での会議中にガツンと言っておけば良かったなぁとか、あの相模原駅前でガツンと言っておけば良かったなぁとか、あの国立駅前であいつにガツンと言っておけば良かったなぁーうぉーとか、あの彫刻の森美術館でガツンと言っておけば良かったなぁとか、あの面接会場でガツンと言っておけばよかったなぁとか。
旅行という期間においては、ある意味特殊な時間が流れています。期間を区切られた特殊な状態です。良いことも悪いことも、旅行が終わった時点で一旦整理され、それらをそのまま現の世界に持って帰ることはできません。そこに一人の自分を作り出すことができる、と言っても良いでしょう。
しかし現の自分の生活の中ではあらゆる人と継続したお付き合いをしていかなくてはならないわけで、その中では時間の経過とともにネガティブな面がどうしても出てきてしまいます。それらの感情の発生は必然とも言えるでしょう。だからと言って強硬手段を取ってリセットすることは僕はしたくありません。それはともすれば自分の今までの軌跡を否定することになります。
僕の人生は幸か不幸かあと数十年残っています。過去を否定することは絶対にしたくありませんね。何かしらのものを失うことを極端に嫌う、寂しがり屋なだけなのかもしれませんが(^-^;)。反省はしても、後悔したくはないですから。
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