【127】子供が見えない

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筆者のNHK好きは自他共に認めるところですが、インドネシアに来てからも留まるところを知らず、特にNHKスペシャルは常にチェックしています。この週末は「21世紀日本の課題 子供が見えない」という2回シリーズでした。

番組の中で一つの事例が紹介されました。中学まで優等生だったある女の子が突然非行に走る。親はそれを受け入れられず叱りつける。溝が深まっていく中で、カウンセラーが二人の間を取り持ち、子供が20歳になった今では二人の関係はすっかり修復している、というような話です。この親子の言葉で印象に残ったものがいくつかありましたので、書き込んでおきます。

女の子の言葉:
「私、もうあの親を喜ばすために生きていたくない」
「いい子にしてたときは自慢してたのに、思うようにならなくなると邪魔者扱い」

母親の言葉:
「子供は、特に女の子は『自分の作品』だと思っていた」
「私が子供のためを思って流したと思っていた涙は、自分を慰めるために流した涙であって、果たしてこの子のために泣いたことがあったのだろうかと思うと・・・」

筆者が幼かった頃のことを思い浮かべてみると・・・この女の子の気持ちが良く分かります。そして同時に母親の言葉の意味も良く分かります。筆者の母親も、どっちかといえば教育ママだったので(笑)こういう感覚が少なからずあったのではないかと。ただ我が家の場合、逆に父親がそういうことには比較的感心薄で、丁度バランスが取れていて良かったのかな、とも思いつつ。

小中学生の頃は、学校と家庭が生活の大部分を占め、あとはせいぜい習い事や塾くらいでしょう。幼い間は学校や親が子供に与える影響というのは相対的に大きくならざるをえません。年をとるにつれて世界も広がり、学校や家庭以外との接点が増え、徐々に幅広い価値観に触れられるようになります。また精神的に成長することによって「まぁ親もええかっこしたいこともあるわな」と分かる日が来るのですが(笑)子供のうちからそれを理解するのは難しいことです。親のエゴは子供にとっては良い迷惑以外の何物でもありません。

筆者も少なからず親のエゴのプレッシャーを受けていたかもしれないのですが、そんな当時の自分が支えにしていたのは何だったのかなと考えてみると・・・思い浮かんだことは二つ。一つは「友達」です。自分を認めてくれる友達がいて、そして自分から見てすごいなぁと思える友達がいたことで、少々腹の立つことがあっても気にせずにいられたのだと思います。筆者は中学生の頃からアマチュア無線をやっており、それを通じて多くの友達(みんな大人でしたが ^-^;)と接触できたのも大きかったと思います。もう一つは「まぁ勉強していれば何とかなるだろう」という漠然とした感覚です。筆者が小中学生だった頃はまだバブル崩壊前、就職も売り手市場で「勉強しないと良い大人になれない」という常套句がそれなりに説得力を持っていた時代でした。

親だけを喜ばすために生きる必要はないと思いますが、誰か人を喜ばせることはすべきでしょう。人から喜ばれるというのは快感であるし、それこそが人から認められることであり、つまりは人が生きていることの証でもあります。子供には子供の世界があるでしょうから、その中で子供は子供なりに、甘ったれずに、自分の居場所を探さなくてはならないと思います。そして親や学校はそれを手助けしなければならないと思います。バブル崩壊前の常套句がもはや意味を持たなくなった今、子供が本来持つパワーを上手く引き出すことこそが重要なんじゃないかなと、NHKスペシャルを見ながら感じたのでした。

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このページは、もりもりが2004年9月 6日 01:07に書いた記事です。

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