実家に帰省した際に、親父と一緒によく行く飲み屋があります。そこでは週末になるとジャズバンドが演奏をしてくれまして、これがまた結構良かったりするんですよね。筆者にとってのジャズというのは長い間、唯一その田舎の飲み屋で聞くだけのものでした。
それが東京で、ある雪の日に足を運んだジャズライブ以来、ちょっと捉え方が変わったんです(その時に歌を歌っていた方が今は歌っていないと聞き、強く復活を願っております)。なんと申しましょうか、もっと気軽に、気に入った仲間と、あるいは好きな人と軽く飲みながら過ごす環境と雰囲気を提供してくれるものなのかぁと。自分の中で堅苦しく構えすぎていたところがあるのかもしれません。
それ以来、時々ジャズライブに足を運ぶようになりました。偶然ながら周囲にジャズを好む人、ジャズを演奏、あるいは歌う人が結構いるんです。これは筆者にとってラッキーなことで(持つべきものは友達♪)おかげで多くの曲を聴く機会を得ています。先日は足を運んだライブハウスでアンケートに答えたら商品(芋焼酎のボトル)が当たって自宅に送られてきて驚いたこともありましたけど。
そしてこの週末も赤坂のライブハウスに行ってました。大学のサークルの定期演奏会だったのですが、OB、OGも参加されていて、筆者の友人もそういった感じでエキストラ参加していたのでした。いくつかのバンドの演奏を聞き、感動させてもらいました。簡単に「感動」なんて単語を並べてしまうと逆に安っぽく見えてしまうかもしれませんが、本当に感心し、すごいなぁと思ったのでした。
筆者が感じる「感動」というのは少々歪んだものかもしれないなぁと思うことがあります。こんな凄い演奏を聞かせてもらって「感動して、良かった」というストレートにポジティブな気持ちがある半面で、自分は何も出来ないのにこの人たちはこんなに人々の心を動かすことができる「すごい、嫉妬する!」みたいな若干ネガティブな感情がその後ろに隠れているのを否定することは出来ないと思っています。
合唱やオーケストラの演奏を聞きに行く機会も結構多いのですが、特に自分に近い立場のアマチュアの楽団や学生の演奏を聞くときに、この「微妙な、歪んだ感動」を感じることが多いです。プロの人の演奏を聞くときは、もっと素直に「上手いなぁ」と感動することが出来るのですが・・・、語弊を恐れずに言うならば、上手くて当たり前、感動させて当たり前、ということで終わってしまうのですね。そして筆者としては、プロの演奏では感じられない、若干ネガティブな感情が心の底から沸々と湧いている状況の方が、より深く心に感じるものが多いことも事実です。
たぶんマゾなんでしょう、筆者は(苦笑)。
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