【69】一応それなりに社会経験しているつもり・・・

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人として生き長らえておりますと、結婚式やら何やらで挨拶をする機会というのがあります。そんな時、諺や格言を引用してお話するのが無難なパターンだったりもします。あるいはそんな大げさな場でなくても、例えば飲んでる席なんかで、流行りの歌の歌詞なんかを引用しながら、あーそんなことあるよねー、みたいな話をすることってあるんじゃないかと思います。

諺や格言として長い間伝承されたり、歌として多くの人に受け入れられている言葉というのは、それなりに一般性を持った、裏づけのある言葉として重みを持って聞こえてきます。そういった一般的な言葉を引用することで、主観性を排して客観性を持たせようとする、一つの会話上のテクニックなのかもしれませんね。まぁ筆者もそういうことを無意識のうちにしている節はあります。ただ、いくら良い引用だと本人が思い込んでいても、その引用元自体がマイナーすぎると客観性どころか却って特殊性を帯びて逆効果になるので(爆)注意は必要でしょうが。

でも実は相対する意味の諺って多数存在しますよね。「二度あることは三度ある」と「三度目の正直」とか。「さよならは別れの言葉じゃなくて再び会うまでの遠い約束」なんてのは寂しがり屋指数が非常に高い筆者がよく思い浮かべるフレーズなのですが「もう終わりだね、君が小さく見える」なんていう救いようのないフレーズもありますし。まぁ、せめて「叶わない想いなら貴方を忘れる勇気だけ欲しいよ」というあたりで妥協したいところではあります。

ただ、こういった様々なフレーズの中で筆者が絶対に受け入れることの出来ないフレーズがあります。それは「別れがあるから出会いがある」とか「別れの数だけ出会いがある」とかいうものです。別れと出会いは対で表現されることが多いですが、別れがなくても出会いはあるし、根本的に独立した2つの要素であって、出会いが多ければ別れも多いかといえば、絶対そんなことはありませんよね。これまでに出会って関係を築いてきた人やコミュニティと別れないと、次の新しい人やコミュニティと出会うことや付き合うことが出来ないかといえば、決してそんなことは無いはずです。もちろん時間、体力、距離といった物理的な要素もあるので、すべてを抱えこんだまま広げていけるわけではないのは理解できますが、つながっている関係を断ち切る必要なんてどこにもないはずです。難しいことを言うまでも無く、そのまま無形資産の喪失であり、機会の損失なのです。

確かに「出会い」「別れ」という単語を、ある特定の意味およびシチュエーションだけにフォーカスして捉えてしまうと、ちょっと意味合いが違ってきて、確かに対で表現されることに妥当性が与えられそうな感じになってしまいます。ただ、そういったシチュエーションにおいてすら「別れがあるから出会いがあるんだよ」なんて気休めを言われるほど、筆者は社会経験不足の未熟者ではないつもりでいますし、他の誰かに対しても、そんな相手をバカにするような気休めは絶対に言いたくないです。

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このページは、もりもりが2002年11月27日 00:43に書いた記事です。

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