今週月曜日付けの日経新聞朝刊紙上の「インタビュー領空侵犯」というコーナーで、小椋佳さんが言語表現の重要性について語っています。彼曰く、以前は言葉が表現の主役であったのに対して、最近では音楽や映像といった感性的な表現が広まっている。そのことによって人間が本来持つべきコミュニケーション能力としての言語表現が、疎かになっているのではないかというのです。
筆者自身もこうして、徒然に文章を垂れ流していますが、表現の手段として言語を使っているにもかかわらず、時に感性的な表現に走ってしまっていることがあるかもしれません。感性的な表現は、一つの文章、あるいは一つの単語が持つところの意味や気持ちに、ある程度の幅を持たせることができるのですが、読む人によって捉え方に違いが生じることもあるでしょう。言い方を変えれば、読み手の想像に敢えて委ねてしまっている、とも言えます。
筆者が自分のページで、いい加減な表現を勝手に垂れ流す分には、まぁ大目に見てもらうこともできそうですが、特定の相手がいる場合は、ちょっと違ってきます。「この人何言ってるの?何が言いたいの??」となってしまっては最低です。意味が分からないだけならまだましな方で、時に自分が考えていたことと全く逆の意味合いを読みとられてしまうこともあります。もちろんこれは、そんなあいまいな表現を使った発信者側に問題があるわけです。コミュニケーションにおいては明確な表現こそが重要、ということを厳しく認識しています。
ちなみにこの囲み記事の最後に「若い歌手に曲を渡しても『意味がわからない』と言われたりします」という小椋さんの一言が載っていました。お言葉を返すようですが小椋さん、貴方のあの難しい詞を理解することは、一般人にとっては決して簡単なことではないと思いますけど・・・(笑)。
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