部屋でRe-Coverという企画物CDを聴いていました。前にも書きましたが、結構気に入ってまして、時々聞いています。
西島三重子が歌う「雪の華」を聴いていると、ふと「池上線」が聴きたくなってしまいました(笑)。最近は気に入った曲(特に懐メロ)があると、必ず作詞作曲者を調べるようにしていまして、「池上線」も調べてみると、作曲は西島三重子本人で、作詞は佐藤順英。
この佐藤順英さんという方を調べてみたのですが、なんとこの歌詞は実体験が元になっているんだとか。昨年2008年4月19日の朝日新聞土曜版「うたの旅人」の中でこの話題が取り上げられたようで、各所にエントリがありましたが、こちらのブログが一番詳しいかな。いやー、こういう気持ち、分かりますねぇ。分かります!!(超爆)男ってこういうものなんだと。そして女ってこういうものなんだと。なんか典型的な事例で、すごく分かりやすい・・・。
筆者自身もこういう心理を持っている気がします。でもその一方で、そういう心理を持っていると分かっているから尚更、その気持ちは抑えて、逆の行動を取るようにしているんだとも思います。やっぱり過去を一生引きずっていくのは面白くないと個人的には思いますし。でも過去の出来事が消え去ったわけでもないし、消し去れるはずもない。昇華とでも言いますか、別の次元のものとして考える、そんな感じで処理しているように思います。
本文中にあるブログへのリンク「トニー北山のアイビー・ライフ」が切れていたので、引用させていただきます。
---(引用ここから)---
「池上線」と佐藤順英さん
昨日の朝日新聞土曜版・「うたの旅人」に「池上線」の話が載っていました。
池上線の歌詞は、作詩をした佐藤順英さんの「実話」だったとのこと。
佐藤さんは、学生時代に交際していた女性がいて、自分がハワイ大学に留学している間にも文通を続けていたけれども、ある日、「待っているのに疲れた」という手紙をもらい、あわてて帰国して説得したけど、結局だめになった。その情景を女性に仮託して作った詩だったそうです。そして、佐藤さんは留学も止めてしまって、音楽の道に進んで行く。
朝日新聞側は、現在の相手の女性を探し出してインタビューしていますが、彼女は、職場結婚して今は二人の子どもがいて、「ふつうすぎるほどふつうに生活している」そうです。
しかし、一方の佐藤さんは、未だ独身を通していて、相手の女性が就職したメーカーであって、また、その夫となった人の勤めている会社の製品は買わないことにしているようです。
「池上線」は、学生時代の悲恋を歌った「実話」だったわけですね。
男は悲恋をずっと引きずってしまう傾向がありますが、この点、女性は、すぐにサッパリして、新しい恋愛に切り替えることができるのではないかと僕は思っています。
朝日新聞の書き方だと、佐藤さんが今でも、当時の悲恋を引きずっているように感じられてしまいますが、おそらく、佐藤さんにとっては一生に一度の大悲恋だったのでしょう。
しかし、それでは、相手の女性にとって、当時の恋愛が、歌で歌われたほどの悲恋だったのかどうか、佐藤さんのように人生を変えるほどの大きなインパクトがあったものだったのかどうかは分かりません。
それに、相手の女性は、自分で新しい恋愛をして、現在、その相手と幸せに暮らしているのですから。
その相手を引っぱり出してインタビューするは、ちょっとどうかと思いますね。
男性の作詞家が、女性の立場で恋を歌った歌はたくさんありますが、そこには、女性としてはこう感じて欲しい、という男性の願望が込められているように思います。
そして、そのような歌を聞く人もまた男性だから、その歌詞に思いを寄せるわけです。
だけれども、実際には、男と女の感情の間には、目に見えない、越えられない壁の存在が立ちはだかっているように僕には思えるのです。
---(引用ここまで)---
この元ネタと思われる記事のPDFを発見したのでアップしておきます。筆者は中島鉄郎という方で、今でも朝日新聞に記事を書かれているようです。